ミズホ日記

 

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引っ越し!!!(大量の写真とともにお届けします♪)

今週引越しました。
先生との生活もこれで終わりです。先生と、そして先生のもとに集まる多くの人から刺激を受け、また、音楽に生きる女性としての先生から人生観、価値観、ものに対する考え方を学ばせて頂きました。
貴重な経験でした。
寂しさもありますが、先生の荷物107箱(!!)をパッキングし終わった時の達成感はとてつもなく、今は新しい生活に対する希望に満ち溢れてます。笑

先生は他の国へ引っ越されましたが、私はルガーノ内での引越しです。これからは駅に近い、便利なところで数カ月間ですが生活します。
せっかくなので今まで住んでいた家と、家の周り(Gandriaという場所です)をご紹介します

Gandriaを湖から臨んで
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Gandriaからの絶景。同じ場所でも天気や時間によって、本当にいろんな表情を見せてくれました。(どれもクリックで少し拡大できます)
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gandria2.jpg gandria4.jpg
CIMG5643.jpg lugano1.jpg

Gandriaの地区の中は全てこのような細い道です。
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美術館のようだった家の外観と、ザ・普段着の練習風景。笑
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そして、後少しで出発と言う時に、ふと思い出していつも行っていたお気に入り絶景スポットに走っていくと……
Gandria14.jpg
曇り空が晴れ渡っていく瞬間で、あーこれからまた新たな生活が始まるんだって思いウルウルしてきました。
更に家に戻る時、いつもは私を見たら逃げて行く猫が前からまっすぐ私のもとに向かってきて
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足にスリスリしてきて、、、そしてハッと顔を上げたら今まで住んでた家を囲むように虹がかかっていて。。。
Gandria13.jpg
大袈裟なロマンチック解釈かもしれないけど、今まで耐えたことや全てのことに「よく頑張ったね」て言ってもらえてる感じがして、とても感動したのでした。
ありがとう、Gandria
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    05:03 | Top

イスラエル記 3

コンサートの後はエルサレムに向かいました。
エルサレムの音楽センターに用事があったので、そこでディレクターの方と先生と軽くランチ。
CIMG6096.jpg
この日はフルートのイベントが開かれていて、世界中から100人以上のフルーティストが集まっているとおっしゃっていました。
またお話の中で興味深かったのは、イスラエルでは音楽院の生徒の男女比は、男子の方が圧倒的に多いのだそう。
これは日本にとっては信じられないことです。(東京音大付属高の3年の時なんて私は女子クラスだったし、男子は学年に数人で、女子の勢いの中で肩身が狭そうだった、、、印象があります。←失礼

さて、その後はエルサレムの旧市街に。
旧市街に入る前にも明らかに他の国と違うことはたくさんあって、
例を一つ挙げれば、住宅街。
CIMG6092.jpg
各アパートの上に水道用のタンクがあるのですが、その色がユダヤ人が住んでいるビルは白で、アラブ人が住んでいるビルは黒。
道を走ってアパートを見ていれば、すぐ見分けることができます。

そして衝撃の旧市街。
旧市街はその決して広くない中で、キリスト教地区、イスラム教地区、アルメニア人地区、ユダヤ人地区、と4つに分けられています。
各地区ごとで雰囲気はガラリと変わります。
ゴタゴタと古い石や、スカーフが所狭しと並べられ、お店の人が絨毯の上で必死に祈っているアラブ地区をちょっと通り過ぎると、突然白い壁に包まれて綺麗なユダヤ人地区になったり。そしてもちろんキリストが十字架を背負って歩いたとされる道もすあるし、ゴルゴダの丘も。

今回はそんなに時間もなく、エルサレムで事件があった直後だったこともあり、あまり歩きまわらず、ユダヤ教の嘆きの壁付近を歩いて帰ってきました。いや、こんな私が歩かせて頂いてしまいましたという感じです。
CIMG6107.jpg 嘆きの壁

嘆きの壁は遠くから見ましたが、信者の方達のあまりの一心不乱な祈り方に、私は言葉も出ず、ただただ立ちすくんでしまいました。
ユダヤ教の超正統派の人達は結婚したら
男性は頭にかぶせたキッパーというものの上に大きな黒い帽子、耳の上の髪の毛を縦ロールにして長く伸ばす、髭、黒い長い背広に黒ズボン
女性は髪の毛を剃ってカツラ、もしくは何かの布で頭を覆う
という格好をするだそうです。
イスラエルからテルアビブの空港に戻る時、12人の乗り合いタクシーを利用したのですが、そのタクシーが私達を乗せた後ユダヤ人地区に止まり、乗ってきた人達は全員上記の格好をしていました。
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ユダヤ教にとって一番大切な場所の嘆きの壁のすぐ裏にはイスラム教の岩のドーム(ムハンマドが昇天されたとされる場所)が見えます。

宗教について論じることはあまりに難しく、こんな私がチャラチャラと軽々しく書けないのですが、
ただ皆が宗教とあまりに密接に生きていること、そしてエルサレムという小さい中にそれぞれの宗教の聖地が集中しているのを目の当たりにし、宗教戦争の心理を見せつけられた気がしました。
いや、宗教戦争についてだけではなく、本当に多くを考えさせられたエルサレムでした。
    00:20 | Top

イスラエル記 2

イスラエル記1の続きです。

■コンサート
フェスティバル終了後は先生と、同門の姐御肌のロシア人と一緒に車で移動。
ひたすら岩山、砂漠のような景色を見、途中キングソロモンが立てた柱がある場所とか、マサダといってユダヤ軍がローマ軍との戦いで3年以上立てこもった場所などを通過して、死海へ。
CIMG5989.jpg  CIMG6014.jpg
せっかくなので2時間ほど海に浮かんだり、泥パックをしてまた車に乗りエルサレムへと向かいました。
その日はエルサレムの市内を見て(青山みたいな雰囲気の綺麗なショッピングストリートでした)移動し、テルアビブのオーガナイザーのお隣の部屋に泊まらせて頂きました。
テルアビブは、まさに風通しのいい東京(地中海沿いなので)といった感じで(お店も夜中まで開いていて、全てが18時には閉店するスイスの後に行くとなんて活気があって素敵な場所なんだ!と思ったり。)好きでした。

テルアビブとラナナのコンサートではイスラエル人の16歳のとても才能ある男の子、私、最後に先生という順で演奏しました。
先生は出番の直前まで客席で聴いて下さって「またムシムシって弾いたら客席から撃つわよ」という、、愛と言う名のプレッシャーのもと弾きました。(ムシムシってのは私の、変なところでリリカルに歌ってしまう癖が出るといつも言われる擬態語です。。)ステージを先生に聴いて頂くのは初めてでしたが、なんだか先生に教わってきたことがやっとつかめてきた感じがし、先生もとっても喜んで下さって、、、来て良かったなぁと思いました。
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左はイスラエル人のダニエル君。ピアノがうまいだけでなく、スーパー良い子。
右は姐御肌ロシアンのアンナ。彼女はコンサートで弾いたわけではないのですが、この服装。(肩から一面に黒いバラがついてるんです、これ)ジャケットが着られないんだけどどうしようって相談されました。笑

つづく
    22:39 | Top

イスラエル記 1

3月後半からイスラエルにいました。
音楽フェスティバルと、その後にテルアビブとラナナという場所で先生と一緒にコンサートをさせて頂きました。
日本がこのような状況である上に、エルサレムで爆弾がバスにしかけられるという事件があり、家族と支えてくれる人に大きな心配&迷惑をかけてしまったのですが、かなり前から決まっていたコンサートを断るのはどうしてもできず、行ってきました。
音楽だけでなく中東の情勢、宗教について考えさせられた大事な期間となりました。

ルガーノの魅力を書きます、と前の日記で宣言しましたが、それを少し先延ばしにして、イスラエルでの出来事を何回かに分けて書いて行こうと思います。
(地震の後に、こんな日記で不快な思いをされる方がいらっしゃったら申し訳ありません。)

■イスラエル入国
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テルアビブの空港に着いて、まずその綺麗さに驚きました。成田空港の天井を高くした感じの空港で、イスラエルのcivilizationの素晴らしさを知りました。(すいません、何も知らなかったもので…)
しかしちょうどその日にイランからの大量武器がテルアビブを通過したことが発覚したのを受け、とにかくセキュリティチェックが厳しく、特に私は一人の人が私に付きっきりになって1時間半のチェックを受けました。(帰りも同じ感じで、先生にアンタがそんなにテロリストに見える人だとは知らなかったわと言われました。)
自分がどんな地域に来たのか、改めて実感したのでした。

■Festival
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このフェスティバルは一日に3回11:00~,17:00~,21:00~ とコンサートがあり、その中で私も3回ほどちょっとずつ出させて頂きました。
楽器は1カ月前に買ったばかりというFazioliのフルコンで、私の人生初Fazioli体験となりました。
期間中には先生もリサイタルを含めて4回ほど演奏し(リサイタルは前日夜中にピンチヒッターでの出演が決まったのですが、素晴らしすぎる演奏で腰が砕けそうでした。)、それ以外にもイスラエル作曲家(興味深かった!)の演奏会とか、突然ニナロッタ(イタリアの映画音楽作曲家。ナゼって思ったけど隣のイタリア人が異様に興奮してたので、よしとします。)だけの演奏会とか、プロのフラメンコ(圧巻!!容姿を超越した人間の美しさ、人間の持つ感情の豊かさ、悲しみを乗り越えられる強さ、内に秘める圧倒的なエネルギー。。。)とか、アレンスキーの室内楽だけの演奏会とか、バッハのヨハネ受難曲とか、、、とてもバラエティーに富んだコンサート内容でした。
期間中にはいつものようにYablonskaya先生からレッスンを受け、また、Bashikirov先生がいらっしゃったので頼んで2回レッスンして頂きました。
とにかくすごい、という噂はいろんなところから聞いていたバシキロフ先生ですが、歳を感じさせないエネルギーと、音楽に対しての全く妥協しない精神と。。。学ぶところの多いレッスンでした。
と、同時に、基本の音楽的な楽譜の読み方はヤブロンスカヤ先生とほぼ同じで(昔6年間バシキロフ先生に習っていたらしいのもあって)昔のロシア音楽教育の徹底ぶりを感じました。

また、夜な夜ないろんな人と話すのはとても興味深く、中でもスケジュールを管理してくれていた女の人とは(同い年)たくさん話しました。イスラエルでは18歳からの徴兵制があり、女子は2年間、男子は3年間。しかも彼女はガザ地区に派遣され(現在はもうイスラエルはガザには派遣してません)、爆弾が5メートル先に落ちた話などを淡々と聞かせてくれました。
音楽家も18歳から21歳という大事な時期を軍隊で過ごさなければいけないし、、
いろいろと考えさせられます。
そして日本が天災で辛い思いをしている時も、世界では人災で多くの方が亡くなっているという悲しい現実。。

つづく
    19:47 | Top
Welcome..

♪

ピアニスト仲田みずほのブログです。
静岡県西伊豆町の豊かな自然の中で(完全野生児でした)ピアノを弾き続け、高校から東京へ。
その後はルガーノとチューリッヒ(スイス)で計4年半の留学生活を過ごし、2015年3月完全帰国。
現在は東京を拠点に活動中。東京音大講師。
どんな時も音楽と共に!

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